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顕正会員に伝えたいこと

御遺命とは、簡単に言えば、日蓮大聖人様の遺言ということです。
顕正会員は、宗門(日蓮正宗)が御遺命違背したと言っていますが、そんなことはないです。「国立戒壇」という名称を使わないだけで、日蓮正宗は「御遺命の戒壇」建立に向けて、信心活動に励んでいます。
広宣流布とは、一人一人が本門戒壇の大御本尊を信じつつ折伏に励み、正法信受の大功徳を頂いて、徐々に実現していくことを目標とするはずのものなのです。
なので、日蓮正宗で「国立戒壇」との単語を使わなくなったからといって、けっして「広宣流布の実現」という、大聖人のご精神を捨てたわけではありません。
ただ、「国立戒壇という単語は、誤解を招く人も多く、大聖人様も、もともと使用されていない言葉であるから、今後は日蓮正宗では使用しない」と言っているに過ぎないのです。
話は変わりますが、顕正会員の皆さん、プレッシャーで、信心が義務になっていませんか?
そして、心身共にお疲れではないですか?
無理や我慢していませんか?
浅井会長の無謀な予言に合わせて、ノルマを達成する必要はどこにもありません。
信心は、浅井会長の為でもなければ、誰かの為にするものではありません。信心は、自分自身の幸せの為にするものです。
第二十六世・日寛上人は、「すでに本門の戒壇の御本尊存(そん)する上は其(そ)の住処は即戒壇なり。其の本尊に打ち向(むか)ひ戒壇の地に住して南無妙法蓮華経と唱ふる則(とき)は本門の題目なり。志有らん人は登山して拝したまへ」(寿量品談義)
日蓮正宗では、総本山大石寺に参詣することを「登山」といいます。

大石寺には、日蓮大聖人の御当体である本門戒壇の大御本尊が厳護されています。また、総本山には大聖人以来の血脈を所持される御法主上人がおられます。

したがって総本山大石寺は日蓮大聖人の仏法の一切と御精神が脈々と息づいている霊地なのです。

総本山においては、登山参詣した信徒に対して、大御本尊を直々に拝することを許しています。これを「内拝(ないはい)」といい、このとき大御本尊の御厨子が開かれることから「御開扉(ごかいひ)」ともいいます。

日蓮大聖人が 「須弥山に近づく鳥は金色となる」(本尊供養御書) と仰せのように、大石寺に参詣し本門戒壇の大御本尊に御目通りすることによって、私たちは、自らの罪障を消滅し、諸々の願いを成就して成仏の大道を歩むことができるのです。
かつては顕正会、浅井会長も御開扉を受けていました。
「以来、妙信講は総本山の御会式に参詣も叶わず、正月登山も出来ずにおります。およそ御開扉を断絶される事は、正宗信徒として『死ね』と云うことであります。」(試練と忍従)
「私共の思いには、御開扉を許す許さぬは、昔より血脈の御一人の為されるところにして、一般僧侶すら口にする所ではないと。」(試練と忍従)
浅井会長自身がこう言っています。

ですから、不敬の御開扉ということはないのです。
また浅井会長は、偽本尊を作成し続け、三宝の僧宝を誹謗しています。もう顕正会は謗法の団体なのです。
一刻も早く浅井会長の嘘に気付き、日蓮正宗で正しい信仰をさせて頂きましょう!

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